寄せくる波に心を委ねて

松永 康 (アートコーディネーター)

Hiroko Takakusaki
2011, Oil on canvas,
そしてまたうまれる

 世界は常に拡散と秩序化を繰り返しながら変化している。そして、その2つの力の狭間でゆらぎが起こる。自然界で生じるこうした安定した変化のリズムを、「1/f」という記号で表す人もいる。この変数「f」が1より小さくなると拡散が進み、大きくなれば秩序化が進むというのだ。私たちは潮の満ち引きにも似た、そうしたゆらぎの中で日々を送っている。
 高草木裕子は1980年代から、植物のように成長していく形態を描いていた。しかしやがて、それがパターン化していくことに息苦しさを感じるようになっていた。それを乗り越えるため写実的に植物を描いてみたり、また薄い紙に水彩絵具を塗って紙自体を変化させる実験を行った。だがそれらは、自らの感性の変化を充分に受け止めてくれるものとはなり得なかった。
 2009年から友人らとともに、高草木は「いのちを見つめる」という展覧会を開始した。作品の制作と発表を通して生命の意味を突き詰めることが目的だった。生命に思いを巡らすにつれ、それは人の力によって生み出されるのではなく、何か我々の手の及ばない別な働きによって動かされていることに気がついてきた。
 美術作品もまた、果たして人の手だけで生み出されるものなのか。実は、人知を超えた大きな力によって必然的に現れてくるのではないか。だとすれば、そうした表現を獲得するためには作為的な操作をできるだけ放棄し、そこに降りてくるものを待たなければならない。高草木は一定の規則を自らに課し、それに無条件に従うことで描き進めるという方法を取り入れてみることにした。
 まず右から左へと一定方向に筆を移動させて絵具を塗り、色の斑を作っていく。そして、それをオートマチックに画面上に点在させていく。それらが全体に同じ密度で埋まったら、今度はその余白部分に同じやり方で色味の異なる筆跡を乗せていく。
 この作業を繰り返すうち、画面には波打つような色彩のゆらぎが生じてきた。雲のようにも海のようにも見えてくる、予期しなかった形象がそこにはあった。この方法によって高草木は、作品を「つくる」ものでなく「授かる」ものへと展開させ、そのことで大きな転機を迎えることとなった。
 世の中は今、ますます変化の激しい時代へと突き進んでいる。変化が激しくなればなるほど、自らの居場所を見定めるための冷静な目が求められる。そしてそのためには、自然の流れに共振しながらものごとを判断できる安定した精神が不可欠となる。「1/f」というゆらぎは私たちの心をそのような状態につなぎとめ、変化に対応できる柔軟な力で満たしてくれるのかもしれない。

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