偶然の出会い ~高草木裕子(たかくさきゆうこ)さん~

高草木 裕子


Hiroko Takakusaki, 1998, Oil on canvas

 1998年、原宿ギャラリーで個展を開いたことがこの話の発端です。
 …(ちなみに私は「高草木裕子」と書いて「たかくさきひろこ」と読みます。)

 私が原宿ギャラリーで2月に個展を開いた頃、高草木裕子(ゆうこ)さんはご友人の結婚式に出席するため日本へ帰国していらしたそうです。その個展DMを高草木裕子(ゆうこ)さんのお友達が「同じ名前の人の展覧会のはがきよ」と手渡したそうなのです。そのDMには私の自宅のメールアドレスが印刷してありました。

 数ヵ月後、「漢字で書くと同じ名前です」という内容の英文のメールがワシントンDCから舞い込みました。日本語のインストールされていないパソコンだったのでしょうか。丁度、98年の5月、ギャラリー宏地での個展2日目か3日目でした。突然のメールにびっくりしました。私は個展会場へ足を運んでくださる方の数が少なくて気落ちしているところでしたので
 「今、神田で個展をしていて少し落ち込んでいたのですが、メールを頂いて大変嬉しいです。」
といったようなことを書いて返信しました。 さらに驚いたのはその後でした。

 ニ、三日後、「私も高草木といいます」と個展会場にすらりと背の高いすてきな紳士が現れました。何と、ワシントンからメールをくれた高草木裕子(ゆうこ)さんのお父様だったのです!
 「娘に頼まれまして・・・。」
 私は神田のギャラリーとしかメールに書かなかったので、半日がかりで大変なご苦労をされて訪ねあてていらしてくださったのでした。私の出身地等に興味を持っていらして、私の旧姓が福田で結婚後高草木となったことをお話しますと幾分がっかりされたようでしたが、メモの用意までさっとされましたのが印象的でした。差し出されたお名刺にまた大変驚かされたのですが、ここでは差し控えます。とにかくいらしてくださったこと、お目にかかれた事にとても感激しました。

 それからは99年の埼玉近代美術館での個展に弟さんがいらしてくださったり、ワシントンで日本語の先生もされている裕子さんから、
 「いつも生徒に ”自分の名前には’さん’をつけないのですよ”、と口をすっぱくして教えているのにこのように書くとおかしな感じがします。」と書き添えられた、『高草木裕子さん』という書き出しで始まるクリスマスカードを頂いたり、
 「(展覧会のお葉書ですので)差出人の(高草木裕子という)お名前に娘でないとわかってはおりましても筆跡までも娘のものに少し似ていらしたりするものですから一瞬どきっといたします。」などとお話されるお母様のお電話をおもしろく伺ったりと、まるで親戚のようなお付き合いをして頂いております。

 裕子(ゆうこ)さんは2000年6月のelementのグループ展には弟さんとお二人で会場へいらしてくださいました。あいにくその時は私が会場におりませんでお目にかかれませんでした。確か日本で労働者として働いている日系3世、4世のことを調査するために帰国されていたのだったと思います。
 私は7月始めに展覧会の結果をファイルに収めて、私はブルックリンのWAHセンターを訪問しました。そして帰国後の7月25日。ついに、裕子(ゆうこ)さんご本人にお目にかかることができました。
 19時半にJR田町駅改札で待ち合わせをしまして、近くのお店で食事をしました。初対面でしたがお互いに相手を見間違うことなく守備良く落ち合う事ができました。日本の女の子はみんな髪の毛を染めていると聞いていたので、日本へ来るために髪の毛を赤くしてきたなんておっしゃっていました。思ったとおりの美しい人でした。背が高く、小顔の方で、ロングヘアーをアップにまとめていました。落ち着いてしっかりしていて、でも溌剌とした、お話のとても上手な方でした。

 楽しくて時間があっという間に過ぎてしまいました。
「今度お会いできるのは、ニューヨークの展覧会の時ですね。」と再開をお約束してお別れしました。
今年6月にお会いできると思います。楽しみにしています。

2002.1

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高草木裕子個展 -ON EARTH- 1998/2/10~2/15 ギャラリー宏地(東京・神田)
   
Hiroko Takakusaki, 1998, Oil on canvas

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